1894年11月、創業者“中村稔”は4人兄弟の次男として福井県に生まれた。
1912年、尋常小学校を卒業後、代行教員の仕事をしていた中村稔は、師範学校の試験に合格するも、諸事情から入学を断念。失意の中で、同郷の先輩を頼り単身上京した。
1913年、上京した中村稔は同郷の先輩が経営する三陸社に入社した。(三陸社はいわゆる
土建屋であった。三陸とは中国、満州、朝鮮のことを指していた。※1913年当時)
1917年2月、三陸社で運輸部門を任されていた中村稔は、三陸社から独立し、「三陸社運輸部」を創業した(後の三陸運送株式会社)。「三陸社 運輸部」は京橋を拠点とする小さな運送屋だったが、たまたま近所に早山石油株式会社(昭和石油株式会社の前身)の事業所があったことから、潤滑油の配送の仕事が始まり、これが油の世界に入るきっかけとなった。
1922年、新橋駅前(汐留)に住居と本社を移し、ここでは鉄道貨物の集配業務の仕事を得た。一般運送、潤滑油配送、鉄道貨物の集配業務が主な仕事となった。
1931年12月、現会長“中村正雄”は中村稔の次男として、東京都港区新橋に生まれた。
1937年、早山石油株式会社が開発した「早山ガソリン」の配送依頼を受け、三陸社初となるタンクローリーを導入した。
(1942年、早山石油株式会社は、新津石油株式会社、旭石油株式会社と合併し昭和石油株式会社となる。)下の写真は、新橋の事務所前で、新型タンクローリーと中村稔社長の家族を撮影したものである。向かって正面に立っているのが中村稔社長。左隣が当時まだ6歳の中村正雄(現会長)である。