1956年4月、現会長“中村正雄”が入社。中村正雄は入社後、立川の自動車整備学校に入学。
1957年3月、整備学校を卒業した中村正雄は、本格的に三陸運送の事業拡大に取り組み始めた。
1959年12月、現社長“中村圭介”が中村正雄の長男として、東京都三鷹市に生まれた。
同年、新橋から現在の世田谷区玉堤に約891㎡の土地に本社と車庫を移し、積極的に増車を行なった。(その後約6年で、本社の敷地は4倍弱の、約3300㎡に拡張された。)
1956年4月、現会長“中村正雄”が入社。中村正雄は入社後、立川の自動車整備学校に入学。
1960年、昭和石油株式会社100%出資の昭和石油瓦斯株式会社(後の昭石ガス株式会社→株式会社エネサンス関東)と、専属運送契約を締結。これ以降、昭和石油株式会社がシェル石油株式会社と1985年に合併するまでの約25年間、昭和石油株式会社のLPガスを独占配送した。LPガスのタンクローリーは1輛からスタートし、1976年には15輛を越えた。
1960年、昭和石油株式会社とアスファルトの運送契約を締結し、アスファルト輸送を開始した。(その後、アスファルトは昭和シェル石油株式会社のアスファルトの特約店を通して仕事を受けることになる。)
1961年、当時、アスファルトの取引はそれほど多くはなかった。今でこそ道路舗装はアスファルトであるが、当時急ピッチで進められていた東京オリンピック(1964年開催)に向けての道路整備や、首都高速道路の建設は、コンクリートが主流であったからだ。
1961年12月、車両総数は22輛となった。
1962年12月、三陸運送(株)の配送比率は、6割が重油、4割が灯油であった。SS向けのタンクローリーが活躍するのは未だ先の話となる。
1965年、東京オリンピックの翌年に始まった高度成長期における「いざなぎ景気」でマイカーブームが到来。ガソリンの消費は増加し、それに伴い配送数量も増加した。
1966年4月、グループ会社「三陸工業株式会社」を設立。陸運局より認証工場として認定された。
1967年5月、グループ会社「三信石油株式会社」を設立した。マイカーブームが進む中、石油製品の販売ビジネスは次の時代を睨んだ新しいビジネスだった。
1968年5月、設立から1年後、異例の早さで昭和石油株式会社と特約店契約を締結することができた。
1969年5月、三信石油(株)が、小金井給油所を開設。同年12月には本社の前に玉堤給油所を開設した。