SRG 三陸グループ

躍進

1971年6月、昭和石油株式会社が新設した東京油槽所(足立区小台)の委託運営の依頼を受け、グループ会社「昭友荷役株式会社」を設立し、構内作業を開始した(1994年株式会社昭友に社名変更)。同時に三陸運送(株)は東京油槽所内に足立営業所を開設。これが功を奏し、油槽所と運送会社が一体となった首都圏近郊への効率的な配送は、従来の自社の配送数量を大幅に上回る結果となり、翌年以降の昭和石油株式会社内での自社のシェア拡大に大きく貢献することとなった。
1971年9月、三陸運送(株)は、昭和石油株式会社からアスファルトローリー6台増車の打診を受けた。いきなり6輛の増車に躊躇はあったが、担当者の「仕事はある!」という言葉を信じて増車に踏み切った。
1972年3月、アスファルトローリーは増車分6輛を含み計13輛となった。その時から、アスファルトローリーの快進撃は始まった。(1960年代後半から始まった舗装道路拡張の波は、1970年代に入って更に加速していた。当初はコンクリート舗装が主流だったが、アスファルトの品質が向上したことにより、アスファルト舗装が主役に取って代わろうとしていたからだ。)アスファルト配送の仕事は山のようにあった。アスファルトローリーは、昼も夜も関係なく、走って、走って、走り続けた。それでも1970年代における日本の舗装道路の割合は全体の15%程度。アスファルト配送の仕事は、その後30年以上に渡って減ることは無かった。(その間に培った安全作業のノウハウは、50年以上経った今も若い乗務員達に確実に受け継がれている。

  • アスファルトローリー/1970年型
  • 白油ローリー/1970年型
  • LPGローリー/1970年型